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私がなぜコンサルタントをするのか?~私の想いと経験談からの真実~

あなたは今している仕事(フィットネス、整体、コンディショニング)はあなたが選んで就いた仕事かと思います。あなたがやりたくてしている仕事なのに、いろんな理由で稼がなければいけない理由が出てくると思います。

ー やりたい仕事だったので、忙しくなりすぎて学ぶ時間や自分の時間がない

ー やりたい仕事だったので、忙しくなりすぎて学ぶ時間や自分の時間がない

ー 家族を抱えていてお金が入用になる

ー 趣味に時間やお金を費やす余裕がない

ー 友人と遊ぶ時間とお金の余裕がない

ー 思い描いたライフスタイルとは違う

ー 一人の時間が作れない

ー 憧れにしていた先輩のような生活とはまるで違う

私もその一人でした。そう思っていても優秀な同年代の同業者はどんどん上にいくし、いつしかそんな同業者を見るのに妬む気持ちを持っていたことすらあります。

私と同じような気持ちで仕事しているフィットネス、整体、コンディショニングをしているあなたにもし少しでも背中を押せるならと思い、私の経験や想いや失敗談を含めて心の肥やしにしていただけたらと思います。

私のトレーナー、セラピストとしてのこれまでのヒストリー

大学卒業してから、理学療法士の専門学校へ進学しさらに3年間に通い、社会人1年目の時には26歳と言う年齢であった私は、遅れて社会に出た焦りが人一倍多くあり「早く仕事で結果を出さねば、早く出世せねば、早く親を安心させねば」という目に見えないプレッシャーに日々掻き立てられていました。

理学療法士として介護施設や整形外科クリニックで働きながら、勤務後や週末にパーソナルトレーナーの仕事をし、月1〜2回の休みは研修に行くという、休みはほとんどなしという今思うとかなり無謀な働き方をしていたなと思います。社会人1年目から3年目までのキャリアをそんな風に過ごしていました。

社会人4年前にさしかかり、開業が視野に入り、准社員で所属してたパーソナルトレーナージムを退職するのですが、収入の不安がありパーソナルトレーナーとクリニックでの理学療法士勤務をしながらビジネスの勉強のために健康補助ツールを売る仕事もして3足の草鞋を履いていた時期がありました。

3足の草鞋を履いて仕事をするなんていうのは一見すると能力の高い人みたいで当時は自慢げに周りに言っていたと思います。しかし、今思えば焦りからくる行動でした。当然3足の草鞋を履くということは、1つ1つの仕事にかける時間が短くなります。そのために寝る時間や当時付き合っていた今の妻との大切な時間や実家に帰省する時間や趣味のトレーニングをやる時間、友人との大切な時間を犠牲にして昼夜・休み時間を問わず仕事をしていました。またお金もどんどん貯金を構わず勉強や書籍に費やしていて万年金欠の状態でした。今思えば、当時は焦りだけで冷静な方向性と未来を見据えていなかったと思います。

その結果どうなったかというと、ガッツと行動量だけで成果はいくぶんか出していたこともあり、健康補助ツールを売る仕事で取締役になるかと声をかけられました。当時は金欠な状態もあり、将来の不安もあり、今までの恩義もあったので本当に進みたい道とは遠回りになりますが、取締役の話を受けることに致しました。自分の本当に進みたい道を犠牲するという決断をしてまた雇われる方向に戻ってしまいました。

当然、全くもって満足度は高くありませんでした。ただ、早く一人前になりたい一心で仕事は一生懸命やるものの、進みたい道ではない道を遠回りしようとした結果、日に日に、私はストレスと過労で身体とメンタルはボロボロになりました。ストレスでイライラしやすくなり、友人関係、仕事関係、または実家の両親との関係性は全くもってうまく行っていませんでした。ビジネスの表面上の付き合いや飲みの場もうんざりしていました。

私は気づきました。

「私はこのまま不幸せに感じたまま仕事をしていっても誰も幸せにできないのではないか」

「健康を売る仕事で自分が健康ではないのに価値なんて伝えられるわけないではないか」

「これは本当に私がやりたいことなのか、未来に繋がっているのか、家族を幸せにできるのか」

そして作った、自分自信を振り返る時間...。トレーナー、リハビリへの想い...。

私は思い出しました。

そもそも健康の仕事、リハビリの仕事に興味を持ったのは、大学2年生の頃にフィットネスクラブでアルバイトを始めたときに75歳の息子さんに連れられて来店した歩くのもおぼつかないおばあさんの筋トレの指導をしていく過程での経験でした。

その方は最初は、表情も暗く足もおぼつかない、階段なんて一人で降りれない状態で高齢者の元気のないおばあさんという状態から、運動をしていくことで、日に日に、見る見る姿勢が代わり明るく笑顔になり、階段をかけ下れるようになり、フィットネスクラブくる身なりが変わり化粧をしだし、非常に元気なおばあさんに変貌していきました。

息子さんもお忙しい方で中々お母さんの面倒を見られないご様子だったので、元気になっていく姿を安堵していました。私はただ筋トレを指導しただけでしたが、明るく楽しそうに変わっていく本人、そして安心をした息子さんにただ感動していました。

「こんな素敵な仕事があるんだな、とても素晴らしいな。この仕事を極めることができたら幸せだな」

私はさらに思い出しました。

そして私がトレーナーの仕事に興味を持ったのは、スポーツで勝てなかったからです。小学校4年生から兄の影響でサッカーを始めて、そこから高校3年生までの9年間ずっとサッカーが中心でした。

小学6年生の時に、地元の大会で優秀選手に選ばれてからさらに好きになり、中学校では補欠でしたが県選抜に選出されて、高校では選抜には選ばれませんでしたが、キャプテンを担ってチームを引っ張って県大会に出場しましたが1回戦止まりで最後の夏が終わってしまいました。

あの頃は、人一倍練習時間を確保し、外で走る練習が3kmだったら、練習後に3倍以上の10km走りました。キーパーというポジションがらキャッチに自信はあったが、キックが苦手だったから練習後に最終バスの時間までボールを蹴る練習をしました。センスや技術がないのは自覚していたので、全て人よりも多くこなしてカバーして、人一倍、人一倍、人一倍と言う言葉を心に唱えながら練習をしていました。

でも、勝てなかった。でも、選ばれなかった。でも、思うようにうまくなれなかった。

最後の夏は、自分の判断ミスで失点し、チームを勝たせることができなかった。自分の情けなさとチームへの申し訳なさと県大会を勝ち全国に行くと言う自分の目標が崩れ去り、しばらく涙が止まりませんでした。悔しかった。

私が高校生の時は、根性的な練習論の時代から効率性や根拠を重視した科学的な練習論への間の時期でした。キーパーとしては身長が足りないコンプレックスがあった私は、足の速さやジャンプ力やプレーの正確さでそれを補おうとしました。「ZONE」と言うプロアスリートがどのように壁を乗り越えていくのかを科学的に説明する番組などもあり高校生の私は科学的なトレーニングが魔法の方法に思えて心底憧れを持ちました。

しかし、福島の片田舎にはトレーナーなどはおらず、専門的なトレーニングを相談できるようなトレーナーなどおらずサッカー雑誌のトレーニング記事やトレーニングの専門書など雑誌や書籍を小遣いの範囲内で買うしか専門的なトレーニング触れる機会もありませんでした。

専門書や雑誌の記事を見ても自分に合った方法なんて結局わからず

ただ書いてあることをやってみるくらいがその時の科学的なトレーニングで

足りない部分はあとは練習量の多さごまかす。。。当然、結果など出ず良く腰や股関節や足首を痛めて、たびたび練習が中断してしまっていました。

「自分もこんな自分に合った方法で科学的トレーニングをしてもらったらきっと変われるんだろうな」

自分が受けれなかったから、自分のように頑張る気持ちがあるのに頑張り方が間違っていて時間と気持ちの浪費する人の助けになりたいという思いがトレーナーに興味を持った自分の原点でした。

取締役を辞退。そして自律神経への想い。

もう少し自分の過去をさらけ出します。

高校3年の夏にサッカー部を引退して、トレーニングそしてなんとなく興味を持っていた教師(体育)の仕事の道に進むべくスポーツで有名な某国公立の有名大学に進学するため勉学へ切り替えました。奇跡的に地区では1番の進学校の理数科に進学していた私でしたが、高校3年間をサッカーに費やしていたのでほぼ0(笑)の学力からのスタートでした。

夏から受験がある冬までの半年間を昼夜を問わずに受験勉強に励んでなんとかセンター試験を通り、さあ前期・後期試験で実技と面接というところで勉強に力を入れすぎてしまい、体育実技の練習と面接の練習が不十分で志望校には入れませんでした。ただ、体育そしてトレーニングの勉強をしたいのは変わらず親の図らいで私立の体育大に進学しました。

ただ、高校3年の秋あたりからなんとなく身体の不調が始まり、夜あまり眠れなくなってしまい、今までより非常に疲れやすい状態になってしまいました。その頃、私の祖母が膵臓がんをしていよいよダメかもしれないという折に、よくある親族の遺族金のゴタゴタで家は荒れており、家は安らげる場所ではなくなっていました。かろうじで、進学をしたものの、急な受験モードに入ったストレス、受験の失敗の引け目や、家族のゴタゴタのストレス、家族の不幸せな姿をみる悲しさ、進学した地での初めての1人暮らし、新たな人間関係の不慣れさなどが重なり大学1年生終盤には手が震えたり、瞼が痙攣したり、大学に行こうとすると動悸がしたりと原因不明の身体の症状に悩まされていたりしていました。ネットで自分の症状を検索してたどり着いたのは「うつ」という症状でした。今では、世の中もうつに対して当時よりは寛容な感じかと思いますが、私が大学生の時は社会的劣等生そのものような存在のように思えました。

とにかくどうにかしたいというような思いで、人目をはばかりながらメンタルクリニックに通い正式に「うつ」という診断を受け薬をもらい、それでもなんとなくどうにもならないような衝動に駆られながら大学の心理カウンセラーの元でカウンセリングを2年間受けていました。結局そのような症状は25歳まで続き、当時はうつ=弱い人間という思いがあり、絶対人には知られてはならない秘密を抱えて生きていた感覚です。

今はこれがうつではなく自律神経の乱れた状態だったということがわかっています。なぜ自律神経が崩れたのかということも、どのように対処すればいいかということもわかっています。そして自分と同じようなことは誰にでも起こるということも理解しています。私だって身体が整わず、精神が乱れればいつまた自律神経が乱れるかわかりません。ただ、以前とは比べ物にならないくらい小さな不調に敏感になっています。だから、小さな状態で防いでいる、対処しているから大きく崩れることはありません。心理カウンセラーの領域は私は専門分野外なので手は出しませんが、予兆を見抜き未然に防ぐこと、軽い症状の状態なら自分が手の出せる身体の領域と習慣づくりの領域なのでそこで貢献したいと思っています。

子供でも、学生でも、社会人でも、主婦でも、子供のいる親でも、高齢者でも誰にだって自律神経が乱れるリスクがあります。私は乱れた辛さを長年味わったから、そしてその苦しい、誰にも相談できない恥ずかしい気持ちを知っているから、自律神経を整え方を伝えていくことは自分の使命だと思っています。ただの自律神経の乱れからくる活力の低下で、その整え方をすればもとのイキイキした状態に戻れるのに、わざわざ精神科に行って「うつ」と診断を受けて、薬だけの処方で自律神経の整え方を教わらずに、自己肯定感や社会の生きづらさを抱えて生きていくような私のような人生を他の人に味わってほしくないと切に思っています。

想いの方向へ行動のベクトル揃えた結果…。

このように、

家族を犠牲にして仕事をする無意味さに気づき

育ててくれた両親に感謝する時間を作れないまま進むなんて全く価値がないと気づき

トレーナーとして、スポーツ、健康作り、リハビリに関わり切磋琢磨していく道こそ自分の歩む道だと言うことに気づき

自分の健康を犠牲にしてまで得られる成功なんて持続的じゃないことに気づき

本当にやりたいことを犠牲にして進んでいくことの限界を知り

そして自分の恥ずかしい過去と向き合い、消化し自律神経の不調で悩んでいる人を少しでも減らしたいということに気づいた

だから、

このように自分の本当に大切にしたいことに時間も想いも労力も集中させました。

その結果、再びフリーで独立して4年間でトレーナーとして仕事も増え、健康作りの仕事、スポーツ復帰の仕事、そして頑張ってあらゆる分野で勝とうとしている人達へコンディショニング、トレーニング、マインドコーチングを通じて自己実現のサポートができています。年商も4年で1,500万を超え、今年は5年目も前年度よりも売り上げも利益も超える勢いです。1人で運営してこの数字であれば、まずまずかなと思っています。

さらに、妻との時間や子供との時間も取れるようになり、母の日、父の日、父、母の誕生日にプレゼントを送ることもできています(すみません、皆さんにとっては当たり前のことかもしれません💦)。またささやかですが家族で旅行に行く時間も取れています。

夜はしっかり寝て朝は早く起き、健康に気をつけた食事というのもしっかりと意識できるようになっています。また、健康づくりの一貫、仕事の一貫として100km以上歩くウルトラウォーキングなどにも挑戦できるようにもなりました。

そして、自分のトレーニングをする時間、妻のために施術をする時間、自分のトレーナーとしての技術や知識を研鑽するための研修や勉強会や養成などに費やすお金や時間も確保できるようになりました。もちろんしっかり未来への貯蓄もできています。

来月からようやく自分のお店もリニューアル拡大オープンします。

「稼ぐこと」にやる気を出した大きな理由がもう一つあります...。お金が必要になったからです。

自分がすごいとは全く思っていませんし、なんなら劣等感のように思っていた時期も長くありました。今はないですが笑

そして、上のようなことを自慢するつもりも誰かに認めてほしい気持ちもあんまりありません。

そして私がビジネスにやる気を出した理由も、社会的な貢献心がとても強く聖人君主のような大それた理由ではなく、ただただ必要に迫られたからです。稼ぐしかなかったから稼ぎました。

なぜなら、私のプライベートの失敗で親族関係に2600万円の借金を作ってしまい、毎月20万の返済を余儀なくされました。若気の勢い余って家を買おうとし契約したのですが、考えと不動産の勉強が足りず、契約が破棄になり、家の建築の契約ができず、土地の値段と設計費、建築の一時金の支払いだけが残り、一時は破産するかどうかのところまで行きました。

これが独立後に2ヶ月でこのような状況になってしまい、仕事終わりに車の中でこの話を電話でもらった時はで頭の中が真っ白になりました。子供も生まれたばかりで、独立仕立てで収入など安定していない状態で、この先どうしよう。。。独立してすぐに破産してしまったら、全ての信用を失う…そんなアドバンテージの中でうまくいくのか…

幸い、親族たちに助けられて、その肩代わりを一旦してくださって破産は免れました。親に本当に感謝しましたし、同時に恩返しのために絶対返済しなくてはいけないという覚悟を持ちました。しばらく日中は頭の中がグルグルと借金の不安、返済の不安、事業の不安、今後の生活の不安、子育ての不安で押しつぶされそうな毎日を送っていましたが同時に恩返しをしなけくては生きている意義がないと思い必死になりました。

本当に毎日必死でした。

安心してください。皆さんよりも失敗の数なんて非にならないほど私は失敗しています笑。本当にダサいです。スマートに生きていませんから。

失敗の分だけ色んな経験と対策を持っています。やらなければいけないこともわかっています。

コンサルタントとしての想い

必死にはなりましたが、あくまでお金の稼ぎ方が専門性の土台のもと、結果を出して(お客様に喜ばれて)、お金をいただく、頂いたお金で専門性を磨く、さらにお客様を健康に元気にイキイキしていくという基本的なスタンスはずっと変えていません。簡単な話口コミを作るにはこれだけ十分です。

私の仕事の現在の収入源の配分は

・整体・パーソナルトレーナー業 7割

・同業者への専門技術指導の講師業 2割

・市からの依頼の高齢者の集団指導 1割

・学校の部活との契約のへトレーニング指導 1割

これが私の仕事の大体の配分です。さまざまな経験はしていますが、健康フィットネス業界にはアルバイトの時を含めてかれこれ15年程度います。これからパーソナル指導を拡げたいと思っている方は特に私の話が参考になるかと思います。

返済スタートから3年経ちましたが、すでに1040万の返済が終わっています。土地を売却すれば返済も完済するのですが、親族たちの配慮で土地はそのままで返済を地道に返す方法で待ってもらっています。また、当たり前ですが土地は購入したままなので固定資産税も発生していますし、市民税も売り上げに合わせて上がっていますし、生命保険とかもろもろ支払い物は滞りなくやれていますし、専門的な研修もビジネスの研修も研鑽が必要なので毎年200万以上は投資できています。残りの借金返済分も遅くとも五年、早くて四年で返済する予定です。また子供の将来のためや将来家の購入資金、店舗拡大の予定もあるのでそちらも資金を備蓄を少しずつできています。収入の目処はある程度予想できております。

私自身は素晴らしい人間でも才能があったわけでもなんでもありませんが、やはりやることをやり地道な道を選ぶことこそが結果近道ということです。

しっかりとしたコンサルタントとの人はどの方も言うと思いますが、「本当に成果はやるかやらないか」だけなのです。

売り上げ1000万円の壁って非常に高く感じるかもしれません。超えてしまうと高く感じなくなるものです。

あなたも私と同じように掴みたい未来があって、でも自分では何をしたらいいかを決断できなくて、同じところをグルグルしているような感じする毎日から抜け出したいと思っているのなら、あなたと同じような悩みを持った私だからこそあなたの背中を教えてあげたいとは思っています。

当たり前ですがあなたが満足する仕事や人生が送れないうちは、あなたが思い描く理想の仕事の仕方や理想の人生なんて送ることができません。

私は限界の崖っぷちに立つまで、スイッチが入りませんでした。

崖っぷちにやる方法は非常にオススメしません。色々な危機に遭遇します。身体もメンタルも壊れます。

賢いあなたならば、崖っぷちに立たずとも大切な人の将来や、自分の目指す像が手に入ります。

皆さんなら、方法を知りと信じた人間から背中を押してもらえれば目指す像に近づけるはずです。

その役割は私が適任だと自負しております。私は私と同じように健康を伝える、叶える素晴らしい仕事を極めながら、結果を出して周りの人を笑顔にしながら、さらにしっかりビジネスを構築したいと思っている人のために力になりたいと強く思っています。そういう人にこそ回り道してほしくないので、コンサルタントの仕事をして行こうと思いました。

あなたの幸せもあなたの大切な家族の幸せもあなたの大切なクライアントの幸せも叶えれるようになって欲しいと切に思います。

私のコンサルティングの対象はフィットネスや健康の仕事を人生の一部と捉えていて、自分の家族や自分のクライアントさんが大好きで大切にしたいあなただけです。

ビジネスだけやりたいと思っている人はどうぞ私よりも1000倍すばらしい人が世の中にはゴロゴロいますのでそちらで学んでください。私は健康やフィットネスで稼ぐ方法は専門的になりますが、それ以外のビジネスは素人ですので、私になどきかずその道のプロフェッショナルに聞いてください。来ないと思いますが、売り上げが私と同じくらいの人は私から得るものは少ないかと思いますので、私の師匠を紹介させていただきます。そちらはご連絡ください。

ただ、

・フィットネスや健康、医療の仕事が大好きで

・大切なお客様をもっと元気に健康にしたくて

・まだまだ研鑽を積みたくて、極みにたどり着きたくて

・でも家族のため、将来のためにお金が必要で

・無理矢理なビジネスをしたくなくて

そんな方法を実現している人から教えてもらいと思っているあなたののような方がきっといると思いますので、私も重い腰をあげてフィットネスや健康の個人事業主専門のコンサルタントとして活動しようと心に決めました。私も皆さんをもっとイキイキしたステージにあげたいと思っています。まず年間売り上げ300万の人は500万、500万の人は800万、700 〜800万の人は1000万をフィットネス、健康の分野の中で達成していきましょう。もう、本業以外で稼ぐことを考えるのをやめましょう。きっとあなたのモチベーションは本業以外じゃ上がらないはずですから。

そのためには裸の自分自身/自分が知らない自分自身の本音を知ること・人に語ることが必要だと思っています。

ステージを一段あげるためのスタートラインです。あなた自身を知り、眠っていた気持ちを掘り起こすのが必須になります。

自分の本音を知ること、 自分の気持ちを人に語ることができなければおそらく自分を受け入れる、変えることが難しい(本音を隠すから)のでスタートラインに立てないかもしれません。

ここまで読んだ人はおそらく私と一緒で崖っぷちにならないとスイッチが入らない人、入りづらい人です。夏と冬の学校の宿題はギリギリの提出の方でしたね。私もそうでしたから笑。

ただ、人生において崖っぷちは洒落にならないほど辛いです。経験した私があなたが崖っぷちにたたなくても済むようにあなたのスイッチを入れます。

その方があなたの人生がずっと楽しくイキイキ過ごせると思います。

売り上げが上がるとあなたの専門知識も人生の価値も上がります。それも理由がちゃんとあります。それを時間を作って説明します。

色んな理由でそろそろ本気でならないといけないと思っている「フリーインストラクターさん向けのビジネスマインドセット講座」の無料説明会を実施したいと思っています。皆さんが知ったほうがいいと思うことをお伝えします。また開催日が決まったら告知致します。

長文をここまで読んでくださりありがとうございました。

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